「少し早いが、ランチとしよう」
「か、かしこまりました」
フェリシアはすぐさま受け入れ、エルバートと共に歩き出し――、
しばらくして、エルバートがレストラン前で歩みを止めたので、自分も立ち止まる。
レストランのオシャレな窓の前にはテラス席があり、
周りに置かれた春の美しき花が咲き誇る花壇はとても魅力的で、すでに席の空きはなく、高貴な人々が会話を弾ませ、賑わいを見せていた。
こんな格式の高いレストランで今からランチをするだなんて。
とても気が重い。
「あ、あのっ」
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だ。入るぞ」
エルバートはフェリシアに手を差し出して、フェリシアが手を添えると、短い階段を共に上がり、重厚そうな扉を開ける。
* * *
店内は落ち着いた雰囲気で、テーブル席がいくつもあり、
各席には白いテーブルクロスの上に花瓶が置かれ、綺麗なオレンジ色の花が添えられていた。
(わ、素敵…………)
そう思ったのも束の間、エルバートの存在に気づいた周りの客がざわめき出し、
慌てて大人びた男性が駆けて来る。
この男性はレストランのオーナーらしく、
少し予約より早い時間に着いたが大丈夫かとエルバートが確認を取ると、大丈夫だということで、特別室へと案内される。
特別室は窓から差し込む陽光が心地良い空間で、
予約までしてくれていたことに恐縮しつつもエルバートと向かい合って座る。
「いやー、それにしてもエル、驚いたぞ」
「まさか女連れで来店するとはな」
オーナーのエル呼びに驚くと、エルバートは、はー、と息を吐く。
「オーナーとは幼少の頃から親しく、来店する際には互いに家族のような感じで接している。今日は特にうっとうしいが」
「そ、そうなのですね」
「うっとうしいとはなんだ。こっちはやっとエルにも春が来たかって喜んでんのに」
「今度こそ、このまま結婚か?」
エルバートは冷ややか目線を向ける。
「うるさい。さっさと料理を運んで来い」
「はいはい」
オーナーとフェリシアの目が合い、
互いに会釈をすると、オーナーは特別室から出ていく。
その後、間もなくして豪華な肉料理のフルコースが始まり、
ワインとおつまみ、前菜、スープ、肉料理、オシャレなケーキと、どれも圧倒され、自分の表情が終始おかしかったのか、エルバートに、ふっ、と笑われてしまう。
(は、恥ずかしい…………きっと呆れられたわ)
「つい笑ってすまない。微笑ましいと思ってな」
(微笑ましい!? わたしの表情が!?)
とても驚いたけれど、自然と出たエルバートの笑った顔をこのままもう少し見ていたいとも思った。
* * *
その後、鍵盤楽器との弦楽四重奏をエルバートと一緒に鑑賞をして癒され、
アクセサリーの店の前で足を止める。
売っているものは全て女性の物ばかり。
(あ、ご主人さまの髪の色と同じ美しい銀色のブレスレット…………)
「これを貰おう」
「ご、ご主人さま!?」
エルバートは店の若い女性にお金を支払うと、その女性からブレスレットを受け取る。
「プレゼントだ。付けてもいいか?」
「は、はい」
承諾すると、エルバートは自分の左腕にブレスレットを付けた。
エルバートの髪と同じ色のブレスレットがあり、気になってしまったけれど、
まさか、そのブレスレットをプレゼントされてしまうだなんて。
(このまま帰る訳には行かないわ)
「あ、あの、ご主人さま、男性のアクセサリーのお店に寄りたいのですが?」勇気を出して聞いてみたものの、自分の要望などエルバートが聞き届けることはきっとない。「どうしてだ? まあ、良い」思っていたことと反対の返しに、フェリシアは驚く。「えっ、よろしいのですか?」「あぁ、帝都に来た際にいつも立ち寄る店でも良いか?」「は、はいっ、ありがとうございます」お礼を言い、エルバートに付いていくと、やがて男性物のアクセサリーのお店に辿り着き、一緒に中に入る。「これはこれはエルバード様、お久しゅうございます」店の優しそうな主人が声を掛けて来た。「あぁ、久しいな。見せてもらってもいいか?」「どうぞどうぞ。ゆっくりご覧下さいませ」「あ、あのっ、エルバード様に似合うオススメのお品は何かないでしょうか?」口を開き、そう勢いよく主人に尋ねたフェリシアは、ハッと我に返る。――しまった。つい聞いてしまった。「そうですねぇ、あ、これはいかがでしょう?」主人がチェーン付きの勲章のようなブローチを差し出す。(あ、かっこいいブローチ……ご主人さまに似合いそう)けれど、自分はいつ婚約を破棄されてもおかしくない身。そんな自分からお返しのプレゼントをされてもエルバートはきっと喜ばないし、おこがましいに決まっている。でも、何もせずにはもういられない。「そのブローチ、買わせてください」「お前、何を……払えないだろう?」「だ、大丈夫です。お給金を持って来ておりますので」フェリシアはお給金を主人に差し出してブローチを買い、ブローチを主人から受け取る。「あ、あの、付けても……?」「あ、あぁ」胸を
近くには寄って来る様子はないが、そろそろ、ここを離れた方が良さそうだな。「今から帝都を離れ、特別な場所に向かうが良いか?」「は、はい」フェリシアに了承を得ると、ディアムが御者を務める馬車の元まで歩いていき、ディアムに手を差し出され、エルバートから順に馬車に乗り込む。そしてすぐさま馬車が動き出し、向き合って気まずく座るフェリシアをよそに窓の外を見つめる。魔は明らかにフェリシアを見ていた。監視とはほんとうに胸糞が悪い。* * *フェリシアはふぅ、と息を吐く。(ご主人さま、目も合わせてくれない…………)ぎゅっと自分の胸元を掴む。エルバートは余程、自分がプレゼントしたブローチが迷惑だったのだ。フェリシアも窓の外を見る。早く謝りたいけれど、エルバートが言う特別な場所とは一体どこなのだろう?そう疑問に思いつつ、馬車は進み――、しばらくして、特別な場所に辿り着いた。初めて見る景色にフェリシアは目を奪われる。特別な場所では海が広がり、白く美しい花が咲き誇っていた。その花々を見た時、家に咲く同じ花を両親と見たことをぼんやりと思い出す。――ああ、無意識にこの花に惹かれ、料理の皿にいつも添えていたけれど、両親と見た大切な花を自分は添えていたのだ。この美しい景色と両親のことを思い出し胸がいっぱいになると、エルバートが隣で口を開く。「帝都の帰りには必ずここに寄ることにしている」「綺麗だろう?」「――はい、綺麗です、とても」「あの、ご主人さま、ブローチ、ご迷惑でしたよね。申し訳ありません」「いや、私こそ、つい嫌な態度を取ってすまなかった」「あれはその……、照れ隠しだ」「ブローチをお前からプレゼントされるなどと思っても
* * *翌日の朝。フェリシアはエルバートをお見送りする為、玄関にいた。今日から、エルバートに仕立てて貰ったドレスを着ているものだから、なんだかずっとそわそわしていて落ち着かない。対してエルバートは朝、挨拶を交わした時も、ドレスと一緒に箱に入っていた可愛らしいエプロンを腰に巻いた姿で朝ご飯をお出しした時も、いつもと変わらない冷酷な表情で、昨日、一緒に帝都に行ったことは夢であったのではないかと思ってしまう。「魔除けのネックレスはちゃんと付けていろ」「家の外には極力出ないように」「か、かしこまりました」「それからフェリシア」エルバートはフェリシアの右頬にそっと触れる。「ドレスもエプロン姿もよく似合っている」まさか、この場で褒めてもらえるとは思わず、火照りを感じると、エルバートはふっと笑う。「左腕のブレスレットもな」(ご主人さま、昨日のブレスレット、外さずに付けていることにも気づいていらしたの……!?)「では、今日も私が帰るまで待っているのだぞ。良いな?」「は、はい。お待ちしております」エルバートはフェリシアの頭をぽんぽんし、背を向けて歩き出す。すると、後ろに立つ微笑ましい表情をしたディアムが小声で、フェリシア様、良かったですね、と言い、会釈した。自分も会釈を返し、ふたりが玄関の扉から出て行くのをただただ見守った。* * *その後、フェリシアは台所で朝ご飯の皿洗いをリリーシャと共にする。「左腕のブレスレット、やはり、エルバート様からプレゼントされたものだったのですね」リリーシャとは自分より2歳年上なこともあり、初めて台所をお借りした時は何も話せなかったものの、姉のように話しかけてくれて、今では少しずつ話せる仲になっていた。フェリシ
リリーシャの命令通り、台所周りとここの窓拭きをしっかりとして終え、家令であるラズールに図書室までの案内と扉の鍵を開けてもらい、はたきで掃除を始める。すると気になる分厚い料理の本を見つけた。帝都の本屋の時は興味はあったものの、結局読まずに終わってしまった。だからこの本は少しだけでもいいから読んでみたいけれど、(勝手に見たらだめよね…………)そう息を吐いた時だった。ラズールが古い本棚から料理の本を取り、なぜか自分に手渡す。「あ、あの?」「好きなだけ読んで良いですよ」「あ、ありがとうございます」フェリシアはお礼を言って、本を開いた。するとページを捲(めく)る度に知らない豪華な料理ばかりで驚く。「フェリシア様はほんとうに何事にも熱心ですね」「貴女のような人がエルバート様の花嫁候補に選ばれて良かったと心から思います」そんなふうに初めて言われ、気恥しい。けれど、自分もブラン伯爵邸の家令と執事長を任されているのがラズールで良かったと心から思った。そうして図書室の掃除も終え、中庭に向かうと、長い前髪に、髪を三つ編みして丸く透明な宝石がいくつも煌いた紐で一つに束ねたお洒落な青年がいた。その青年は首を傾げ、自分の顔を覗き込む。三つ編みと共に紐の宝石も揺れ動いた。「あなたがフェリシア様かい?」急なことに驚いて固まると、青年は状況を理解した。「おっと、これはすまない、花のように綺麗だったものでして」(わたしが綺麗……!?)「庭師のクォーツ・シーニュと申します」「クォーツ様、は、初めまして。フェリシア・フローレンスです」挨拶を返すと、クォーツはにっこりと笑う。「それでフェリシア様は何をしにここへ?」お花を摘みたいところだけれど、
そして、中庭に戻ると、ネックレスを探し始める。しかし、いくら探しても大事なネックレスは見つからない。フェリシアは左腕のブレスレットを撫でる。このまま見つからなかったらどうしよう。そう、多大な不安に陥った時だった。結界が何かと干渉をしたのか、フェリシアがいる一角だけ結界が弱まり、ピシッ、と音がする。両膝を曲げたまま天を見上げると、黒い影に烏の仮面で顔を隠した異形な人間のような姿のアンデットの魔が現れ、欲シイ、とフェリシアの精神に声を響かせる。その瞬間、魔の力が増大し、体が長く伸び――、パリ、ン。エルバートの結界が破られ、フェリシアの体を乗っ取ろうと襲い掛かり、首を傾げ、ぐあっと嘴(くちばし)を大きく開け、細く長い両手でフェリシアの体を頭上から包み込もうとした。(あ、ご主人、さま…………)* * *エルバートは執務室の椅子に座りながら自分の額を右手で押さえる。家の結界が破られただと?嫌な予感がする。ただえさえ、今朝からフェリシアからプレゼントされたブローチのことでカイやシルヴィオに冷やかされ、頭に来ているというのに。それに――、“来ている”新たな気配を感じたエルバートは指をパチンッと鳴らし、一部の宮殿の結界を外す。すると、肩まで髪を流したリリーシャ瓜二つの式神が執務室の窓の外に飛んできた。エルバートが窓を開けると、式神が中に入り、エルバートの胸元をぎゅっと両手で強く掴む。「エルバート様、フェリシア様がっ」「落ち着け。家の結界が破られたことはすでに分かっている」「フェリシアがどうした?」「強力な魔により中庭の一角だけ結界が破られ、フ
* * *フェリシアが魔の細く長い両手で包み込まれそうになった時、自分の名を呼ぶ声が聞こえ、弓矢が飛んできて魔の右手に当たり、その手のみ浄化され、三つ編みにして一つに束ねた髪を揺らし、弓矢を放ったクォーツの姿が見え、駆け付けて助けに来てくれたのだと分かった。けれど、その直後、怒った魔は長い髪のようなものを生やし、頭上から自分の腰を両内側の髪で縛り上げ、外側の両髪をまるで、大きな口を開けて食べるようにクォーツを目掛けて放った。その為、クォーツは自分に近づけず、駆け付けてきたリリーシャ、ラズールが剣で両髪をかっこよく斬り裂き、髪先を浄化するも、髪はどんどん増え、攻撃は止まず、ふたりも苦戦を強いられている。そして自分も一瞬でも気を抜ければ、すぐに体を乗っ取られてしまうだろう。中庭に出なければ。魔除けのネックレスさえ失くさなければ。そう、深い後悔の念がぐるぐると脳内を駆け廻(めぐ)る。これはきっとエルバートの言いつけを守らなかった自分への戒め。魔はクォーツ達に攻撃を続けながら目線を自分に向け、欲シイ、と精神に強く声を響かせる。フェリシアの瞳が黒ずんでいく。なぜ、そこまで自分の体が欲しいのだろう?祓いの力も何もないのに。帰るまで待っていろとエルバートに言われたけれど、(もう、諦めるしか…………)「エルバート様からの伝言でございます。“今すぐ家に帰る”とのことです!」飛んで戻ってきたリリーシャの式神らしきものの声が聞こえ、フェリシアの瞳に再び光が灯り、気を持ち直す。(ご主人さまが家に――――きっと、早退されたのだわ)大変なご迷惑を掛けてしまった。謝っても許されず
* * *フェリシアは家を守ろうと必死に魔に抗う。しかし、魔が欲シイ、と最大限にフェリシアの精神に強く声を響かせ、腰を縛る力を更に強くした。そして、ぐあっと嘴(くちばし)を大きく開け、再び体を乗っ取ろうとする。自分の声など届くはずもないと分かっている。けれど、「ご主人さま、帰ってきてっ…………」そう、声を絞り出し、右目から一筋の涙が流れた。すると、その声に答えるように。「フェリシア!!」自分の名を呼ぶ声が聞こえた。月のように美しい銀の長髪。コートを両手を通さずに羽織り、結界を張ったエルバートが、一点の光る道に立ち、こちらを見据えている。今まで一度も自分の声など届くことはなかった。けれど初めて自分の声が届いた。(ご主人さまが帰って来てくれた――――)そう熱いものが込み上げてきた時だった。魔の目線がエルバートに向けられ、外側の両髪をまるで、大きな口を開けて食べるように放った。エルバートは剣に手をかけ、瞬時に鞘から抜き、髪先を素早く斬って浄化する。しかし、魔の左手が首を締めようと、ぐあっと伸び、エルバートに襲い掛かる。エルバートは続けて左手も斬り、浄化した。すると魔は邪気で結界ごとエルバートを潰そうとする。しかし、エルバートは結界で邪気を跳ね除ける。魔はこちらに来させないよう、邪気で道を塞ぐ。その邪気をクォーツが弓矢でラズールが剣で浄化し、ふたりはそれぞれエルバートに声を掛けようとするも、エルバートが放つ冷たい気と冷酷な軍人の顔の、祓いの神のような姿に恐れをなして立ち尽くす。そしてエルバートは駆け走り、祓いの力で高く跳び上がった瞬間、烏の仮面を剣で真っ二つに斬った。すると半面が浄化され、魔は混乱し地面に倒れ込む。「フェリシア様!」ディアムとリリーシャが叫び
* * *エルバートはしゃがみ、ベットに寝かせたフェリシアの手を握り締める。寝室に勝手に入ってしまったが致し方無い。少しでも帰宅が遅れていたら、彼女の命はなかっただろうと思うと胸が痛む。「フェリシア、今少しの間、このままでいさせてくれ」こうしてエルバートは暫(しば)し彼女との時を過ごした後、ディアム達を書斎(しょさい)に集めた。エルバートは椅子に座り、目の前の机に組んだ手を乗せ、向側(むこうがわ)に立つディアムからフェリシアが中庭に出た経緯をまとめた話を聞く。「フェリシア様自らリリーシャに手伝いをさせて欲しいと申し出て、ラズールに図書室までの案内をされ扉の鍵を開けてもらい、図書室の掃除を終えた後、初対面のクォーツからエルバート様のお気に入りの花を勧められ」「フェリシア様はその花を摘み、リリーシャに渡そうと台所に向かった際に魔除けのネックレスを落としたことに気づき、花だけを長机に置いて中庭へと戻り、ネックレスを探していたところ」「フェリシア様が結界に近づいた事により、結界が何かと干渉をしたのか、フェリシア様がおられる一角だけ結界が弱まり、魔が結界を破ることができ、フェリシア様は魔に襲われてしまったようです」エルバートは右手で顔を覆う。(まさか私の為に花を摘み、命を失いかけたとは)「フェリシア様の手伝いを断ればこんなことには……」リリーシャが謝ろうとすると、クォーツが止め、続けて口を開く。「エルバート様、中庭に落ちていた魔除けのネックレスにございます。花に埋もれておりました」クォーツがそう伝えると、エルバートは顔を覆うのを止め、魔除けのネックレスをクォーツから手渡しで受け取った。クォーツは後ろに下がり、ラ
* * *それからしばらくして、湖に辿り着いた。湖の清澄な水面には美しい花が浮かんでおり、綺麗な蝶が飛び交う神秘的な場所で、白い小鳥や鹿が水を飲みに来ていた。言葉に出ないくらいに美しく心奪われ、少しの間、一緒に湖を眺めた後、緑の絨毯のような地面に並んで座る。すると白兎が近寄ってくる。「あ、かわいい……あの、ご主人さま、撫でても大丈夫でしょうか?」「あぁ」エルバートの許可をもらい、白兎を撫でてみる。白兎は本で見たことはあった。けれど、実際に見たのも、撫でたのも初めて。ふわふわでとても触り心地が良い。「ご主人さまもどうぞ」フェリシアはそう言い、ハッとする。(ご主人さまが撫でる訳ないのに……)「も、申し訳ありません、出過ぎたことを……」「気にするな」エルバートはそう言って白兎を撫で、微笑む。その顔を見た瞬間、自然と手が伸び、エルバートの頭を撫でる。するとエルバートは驚き、フェリシアも固まる。(わたし、今、何を)ふとエルバートの耳を見ると、赤く染まっていることに気づき、フェリシアもまた自分の頬に熱さを感じた。「遅くなったが昼飯にするか」「は、はい……」フェリシアがバスケットに入ったベーグルサンドを手に取り、どうぞ、とエルバートに渡そうとする。するとそこへ美しい鳥が飛んできて、ベーグルサンドをくわえ、翼を広げ飛んで行く。「あっ」フェリシアが短く声を上げると、エルバートは冷ややかな気配を美しい鳥へ飛ばす。(ご主人さま、とても怒ってらっしゃる…………)その後も静かに怒りながら、ベーグルサンドを一緒に食べ、地面に寝転がり、手が重なる。(ご主
「フェリシア?」呼びかけられ、ハッと我に返り、後ずさると、壊れた鮮やかなブルーのブローチがドレスのポケットから床に落ちる。「あっ」短く声を上げ、エルバートがそのブローチを拾う。「これは両親の形見のブローチか?」「は、はい……懐かしくなり、久しぶりに持ち歩いておりました」「出会って間もない頃、お前から壊れたと聞いていたが、この壊れ方。ローゼに割られでもしたか?」(まさか、今になってバレるだなんて……)フェリシアが頷くとエルバートは息を吐く。「そうか、ではしばらくこれは預かる。良いな?」(ご主人さま、怒ってる? ずっと黙っていたせいかしら……)「か、かしこまりました……」「それからフェリシア、出立する前にお前と出掛けたい」「え?」フェリシアは短く声を出して固まる。「私と出掛けたくないか」「と、とんでもありません! その、驚いてしまって……」「ご主人さまが宜しければ、わたしもお出掛けしたいです」エルバートはふっ、と笑い、頭をぽんっと優しく叩く。「では、出掛けよう」* * *そして、出立の一週間前の午後。エルバートがようやく半日お休みをもらうことができ、フェリシアはお洒落をし、一緒にお出掛けすることになった。けれど、ディアムが横で手綱を持ち支えているエルバートの高貴な馬の前で固まる。いつもお勤めの際にお乗りになられるエルバートの馬を間近で見るのは初めて。なんてご立派な馬。(馬で一緒に行くことは事前に聞いていて、こっそり、クォーツさんと練習はしていたけれど……)不安で仕方ない。それに緊張で手汗がすごい。「フェリシア、馬に乗るのは今日が初めてだったな。乗るのが怖いか?
* * *記憶を取り戻してから一週間が経つ朝。フェリシアは髪を一つにくくり、高貴な軍服姿をしたエルバートと居間で会う。けれど、記憶を取り戻してから、エルバートの正式な花嫁候補になったという自覚が強くなり、目を上手く合わせられない。「今日は挨拶してくれないのか」(…! ご主人さまがわたしの挨拶を待っている!?)フェリシアは目をなんとか合わせ、挨拶をする。「ご主人さま、おはようございます」「あぁ、フェリシア、おはよう」エルバートは手をフェリシアの頬に当て、優しく微笑む。(こんなの、まるで、新婚さんのようだわ)* * *その後、しばらくして、エルバートは高貴な馬で宮殿入りし、皇帝の間へと向かう。今日はルークス皇帝にお呼び出しされているというのに、(フェリシアが目をあまり合わせてくれないものだから、今朝はやり過ぎてしまった……気を引き締めなければ)皇帝の間の扉が門番により開かれ、髪を一つにくくり、高貴な軍服姿のエルバートは中に入る。すると、王座の階段の前に何者かが立っていた。床に敷かれた長いレッドカーペットの上を歩いて行くと、王座の階段の前に立つ高貴な軍服を着た者の姿が鮮明となった。この気高き壮年の男はクランドール・ホープ。自分より3歳年上の先輩にあたる軍師長で、自分とは違う軍を束ねており、司令長官を任された際には特に頭が切れ、とても頼りになる存在だ。「エルバート、久しいな。姿を見ない間に正式な花嫁候補まで作るとは成長したな」まさか、ルークス皇帝が玉座から見ておられる前でそう言われるとは。恥ずかしい。「クランドール閣下には敵いませんが、お褒め頂き、光栄にございます」「ふたりが再会でき、何よりだ。ではこれより本題に入る」ルークス皇帝にそう命じられ、エルバート達は並んで跪き、見据える。「帝都郊外の神隠しに合うと恐れられた森にて前皇帝の命を
* * *こうして、翌日からエルバートが早く帰ることはなく、ブラン公爵邸に帰って来てから気づけば、一ヵ月になり、その日の夜は何故か眠れず、フェリシアは居間のソファーに一人で座ったまま、ふぅ、と息を吐く。すると、エルバートに自分の名を呼ばれ、ハッとする。いつの間に居間に入って来たのだろう?足音さえ、気付かなかった。(大丈夫だと言ったくせに、こんな姿を見せては元も子もないわ)「あ、どうなされたのですか? もしかして眠れませんか?」「いや、私は家の見回りをしていただけだ」(家の見回り……魔が入ってわたしが襲われないように?)勤務でお疲れなのに、そこまで気を遣わせていただなんて。「あの、今、お飲み物を……」「必要ない。それより、支度をしろ。今から出掛ける」出掛けるって、こんな夜遅くに?(もしかして、自分に嫌気がさして、捨てられ……いいえ、きっと大丈夫)「かしこまりました」そう了承し、支度が完了すると、ディアムが御者を務める馬車に乗り、お互いに無言のまましばらくの時が流れ、辿り着いたのは、広がる海に白く美しき花が咲き誇る場所だった。(エルバートさまにお姫様抱っこされ来たけれど、とても綺麗な場所…………)もしかしたら、ここはディアムから聞いていた……。「お前を特別な場所へ連れて来たのは2度目だな」「1度目はお前と帝都の街に行った帰りにここへ連れて来た」(あぁ、やはり、記憶を失くす前のわたしと来た特別な場所だったのね…………)「そう、なのですね」「――だが、この木の前に連れて来たのは初めてだ」エルバートはそう言い、たくさんの蕾を付けた大きな一本の木の前でフェリシアを下ろす。(エルバートさまは、記憶を失くす前のわたしも、今のわたしさえも大事にして下さっている)「もうじき、深夜だな。見ていろ」フェリシアはエルバートと共に大
* * *エルバートは執務室の椅子に座りながら、ハッとする。なんだ? このただならぬ気配は。医務室か?エルバートは執務室から飛び出し、ディアムと共に医務室へと駆け付ける。「何があった?」エルバートは見張りの兵に問う。「エルバート様! 医師が寝室までルークス皇帝のご様子を見に出られ、見張りを続けていたところ、医務室内で邪気が発生し、扉が開かず、只今、入室出来ない状況でございます!」「そうか、退いていろ」エルバートは扉に右手を当て、祓いの力を使い、くくった長髪が靡くと、扉を勢いよく開ける。すると床に倒れるフェリシアの姿が両目に映った。「フェリシア!!」エルバートは叫ぶと同時に駆けていき、フェリシアを抱き起こす。魔はいないようだが、魔に弾き飛ばされ触れた箇所から邪気が溢れ、体全体を邪気のようなものに包まれているようだ。エルバートはフェリシアを抱き起こしたまま祓いの力を使う。するとフェリシアの頭痛は治まり、楽になったようだった。(……? 何かを持っている?)エルバートは両目を見開く。「これは私が帝都で渡したブレスレット……」恐らく、中庭の時にネックレスを失くしたのと同じくブレスレットを失くし、探す為にベットから一人で下りたのだろう。エルバートは切なげな顔をする。「もう私のことを思い出そうと頑張らなくていい」エルバートはフェリシアの左腕にブレスレットを付けて持ち上げ、ベットまで運び、寝かす。それから椅子に座るとフェリシアが、か弱き声で発した。「…………花が、見たい」その言葉で、エルバートは希望を感じた。(もしかしたら、私の記憶はフェリシアの心の奥底に残っているのかもしれない)そして、もう一度、あの咲く花を彼女と共に見れたなら。「――あぁ
* * *それからこの日を境にフェリシアは落ち着くまでブラン公爵邸に帰宅させることは出来ないと、祓いの力を持つ医務室の天才医師に診断され、しばらくの間、医務室で治療を受けることとなった。その為、エルバートとディアムも宮殿で寝泊まりすることになり、エルバートからリリーシャ達にその皆を伝えるように命じられたディアムは一旦馬で帰り、自分のせいで、ふたりに多大な迷惑を掛けることになった。早く思い出さなければ。そう思ったフェリシアは医務室に戻って来たディアムに密かに頼み、エルバートが執務で忙しい時に、アベル、カイ、シルヴィオに医務室まで来てもらい、エルバートのことを聞いた。「軍師長の様子なら、執務に集中出来ていない感じですね。着替えもせず、髪もくくったまま、フェリシア様のことばっか考えてますね」「カイ、そんなふうに言ったらフェリシア様が気にするだろう?」「フェリシア様、申し訳ない。でもまあ、フェリシア様が初めてだな、エルバートに色々な顔をさせるのは」アベルに続いて、シルヴィオも口を開く。「冷酷な鬼神だったのに今は惚気ているな」「誰が冷酷な鬼神だ」エルバートがそう言って医務室に入ってくる。「おかしいと思って来てみれば、さっさと出て行け!」エルバートに命じられ、アベル達はフェリシアに会釈をして医務室から出ていった。その後は毎日少しずつディアムからエルバートのことを聞いた。エルバートがフェリシアの家にご婚約の手紙を届けたことからブラン公爵邸で暮らすことになったこと、普段は月のように美しい銀の長髪を流したままなこと、ビーフシチューがお好きなこと、ご主人さまと呼んでいたこと等、これまでの日々のことを。けれど、思い出すことが出来ず、エルバートのことを朝も昼も夜もずっと考え続け、いつしか、8日目の夜になっていた。宮殿のお料理は病人食とは言え、どれも自分には高級で美味しい。けれど早く帰り、自分
* * *――――フェリシアをエルバートとの婚約の意を含めた“正式な花嫁候補”とする。医務室にいるフェリシアの心にルークス皇帝のお言葉が響く。まるで呼びかけられているよう。頭に包帯を巻いたまま、ベットから上半身を起き上がらせ、その身をディアムに支えられながらも、その声に触れるように、そっと自分の胸に両手を重ねる。するとなぜだか分からないけれど、自然と涙が溢れ出た。フェリシアはそのまま、ルークス皇帝のお言葉を聞き届けた。* * *客間でルークス皇帝のお言葉を聞き届けたエルバートは唖然と立ち尽くす。まさか、軍師長の座だけでなく、フェリシアをも守って頂けるとは。エルバートの父と母、そしてアマリリス嬢は絶句し、光がすぅっと消えると、ルークス皇帝の側近は手紙を懐に入れ、口を開く。「ルークス皇帝のお言葉は以上となります」「ならば、帰る」エルバートの父がそう言い、ソファーから立ち上がる。それを見た母とアマリリス嬢も続けて無言で立ち上がった。「では、私が宮殿の出入り口までお送り致します」ルークス皇帝の側近がそう言って扉を開け、エルバートの父と母はエルバートがこの場に存在していないかのような態度で客間から出ていき、アマリリス嬢もふたりに続いて出て行こうとする。しかし、立ち止まり、エルバートを見つめた。「エルバート様、お幸せに」アマリリス嬢は涙を浮かべながら笑顔を見せ、お辞儀をして客間から出て行く。これで、フェリシアはブラン公爵邸から出て行かずとも済むのだな。「ルークス皇帝、恩に切る」エルバートはそう感謝し、顔を右手で覆う。そのまま少し時が過ぎると、フェリシアがいる医務室へと向かった。* * *フェリシアはディアムに心配されながらも医務室のベットで起き上がったままでいた。すると医務室の扉が開かれる音が
「フェリシア様が記憶を喪失してしまわれるだなんて……」アマリリス嬢が動揺した声を上げると、エルバートの父は右手で顔を覆う。「ルークス皇帝までも上回る魔の出現だと?」「そしてルークス皇帝を危険に晒したとなれば軍師長の座を降ろされるのは間逃れないか」「旦那様……」エルバートの母が声をかけ、エルバートはアマリリス嬢を見る。「よって、フェリシアの記憶喪失、そして一時とはいえ、ルークス皇帝を危ない目に合わせてしまった私はまだ未熟である為、アマリリス嬢とのご婚約は破棄させて頂きたく思います」アマリリス嬢が両目を見開くと、エルバートの母が怒りの声を上げる。「ご婚約を破棄するですって!? エルバート、どれだけブラン家に泥を塗るおつもりなの!?」「そもそも、本日の魔の出現はフェリシアさんが原因ではなくて?」「ブラン伯爵邸の付近に魔が出現したのだって、フェリシアさんが訪れた日だったもの。間違いないわ」「だからこれ以上、フェリシアさんとエルバートが関わることを私は決して認めなくてよ」「それに、貴方のことを忘れたのなら丁度良いじゃない。あんな不吉なお人など責任を全て負わせ、今すぐお捨てなさい」「そして、エルバートには旦那様がお決めになられた通り、2日後、アマリリス嬢をブラン公爵邸に住まわせ」「アマリリス嬢と正式にご婚約して頂くわ」エルバートの母がそう啖呵(たんか)を切った。「どこまでフェリシアを愚弄すれば気が済む」エルバートはとてつもない冷ややかな殺気を放つ。まさに、その時だった。失礼致します、と皇帝の側近が扉を開け、中に入って来た。「ルークス皇帝により直々にお言葉を頂戴致しましたので伝達に参りました」「このお言葉は皇帝専用の医務室におられるフェリシア様、ディアム様にも伝わるようになっております」ルークス皇帝がお言葉を?
フェリシアの言葉を聞き、エルバートとルークス皇帝は両目を見開く。まだ混乱している、のか?「フェリシアよ、我のことは分かるか?」「ルークス皇帝……?」ルークス皇帝のことは分かるようだな。「フェリシア、私はエルバート・ブランだ」「エルバート・ブラン?」フェリシアはその名前を口にした瞬間、頭痛が起きて意識を失い、くたっとなった。「フェリシア!!」エルバートは叫ぶ。「エルバートよ、これより酷な事を言うが」「フェリシアの身体は大事ないようだが、どうやら頭を打ちつけたこと、そして魔の影響で一部の記憶を」「お前の記憶を喪失したようだ」エルバートの瞳が揺らぐ。まさか、そのような、嘘だろう?エルバートは切なげな顔でフェリシアを強く抱き締める。「フェリシア……」その後、皇帝の間に皇帝の側近、ディアム、兵達が駆け入り、ルークス皇帝が魔に襲われエルバートと共に浄化したことを伝え、念の為、ルークス皇帝も共に皇帝専用の医務室へ行くこととなった。そしてルークス皇帝とエルバートは大事なく、フェリシアは頭に包帯を巻き、ベットで安静となると、エルバートはルークス皇帝の前に跪く。「ルークス皇帝、責任を取り、私は軍師長を降ります」「エルバートよ、その必要はない。軍師長を辞める事は、許さん」「しかし……」「ただ、このままでは示しが付かないと我の側近が不祥事としてお前の両親に通達をした」「もうじき、宮殿に来るによって対面し、起こった事を全て伝えることとなる。良いな?」「承知致しました」* * *やがて、エルバートの父であるテオと母のステラ、そしてアマリリス嬢が馬車で宮殿に到着し、客間に案内され、待機の状態になったとのことで、エルバートはディアムにフェ